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2004年4月14日
日本から来た母と義理の姉のために、モナコ周辺を案内する。
ガイドブックに載っているような観光地は前回来た時に行っているし、ここは現地に住んでいるのを活かして、普通に行かないような場所に連れていくことにする。

グレースケリーが事故にあった道に行く。
モナコの北の方にチュルビという山の上の村があるが、その奥にある別荘に行った帰り、ケリー自身が運転する茶色のローヴァー(異説があってステファニーが運転していたという人もいる)車が転落したのはチュルビからモナコに帰る山道で、2つ目の急カーブである。1982年9月13日午前10時のことである。

今はコンクリートで高さ50cmくらいの防護壁ができているが、当時は何も無かった。事故の後しばらくは大きな岩が置かれていたが、それは他の車が同じように落ちない様に置いただけで、日本なら置かれるであろうお地蔵さんも、こちらの人が良くするように事故の後に花束を置くようなことも、ケリーの事故現場にはなかった。

母と義理の姉はその急カーブに立って、記念写真を撮る。ちなみにうちのお母さんはケリーと同じ歳で、もし生きていたらこのようであったろうと思いながら、僕はカメラのシャッターを押した。隣の姉はカロリーヌか??

しばらく事故の話をしていて、ふと見ると母がなにやら地面を掘っている。グレースケリーの乗った車がまさに突っ切ったであろう場所に咲いていた、かきつばたの根茎を掘っていたのだ。

うちの母は植物が好きで、旅行に行くと花や草の写真を撮ってくる。珍しいものがあると、土が着いたまま花を持って帰ることもある。
前に一緒に旅行した時には、ポルトガルの南西の岬の先端にポーサダがあってそこに泊まったのだが、荒涼とした岬の先で珍しい花を持って帰って、家に植えている。
そのうち日本で、それも岡山県を中心にして、外来の植物の病気かヨーロッパ産の珍しい昆虫が異常発生したら、それはうちの母親のせいかもしれない。

< からごろもきつつなれにしつましあればーーー>
僕は一人で、はるばる来ぬる旅のことを考えた。
2004/5/16(Sun) ...No.1

2004 年 4月 15日

イラクにて日本人がさらに2人誘拐されたらしい。
誘拐されていたイタリア人が一人殺された。
誘拐されている人は12国籍で40人にもなるのだ。

西側にいる僕たちには、イラクの新聞の内容は伝わってこない。
しかし、国連の査察を受け入れて、ミサイルを破棄して、軍事情報の開示を迫られて、もうこれ以上ないと言っているフセインを嘘吐き呼ばわりして、開戦に踏み切ったのはアメリカだ。
イラクの人たちの無念さはいかほどであろうか。
これは戦争だ、とブッシュが言った。これが戦争ならアメリカ兵が死ぬのは有り得ることだし、イラクにいる敵国の民間人を誘拐するのもあるだろう。

ゲリラもテロも弱者の戦争なのである。
2004/5/17(Mon) ...No.3

2004年 4月 16日 (金)


週末に、母と姉を乗せてスイスに行くことにする。
今日の目的地は スイスのゼルマットである。

モナコから西行きの高速道路に乗ると、わずか20Kmほどでイタリアに入る。
そこからジェノヴァまで海岸沿を走り、山の中に入る。オヴァダまでは山がちであるが、そこを過ぎるとロンヴァルディア平原にはいるので道幅は広く真っ直ぐの高速になる。
ポー河の流域は米の産地で、水田に水が張ってある。岡山の家で米を作っている母は興味深そうに風景を眺めている。 イタリアの米で、<イタヒカリ > と言うのがあって、それはそれでまずくはないが、モナコでうちの家族が食べている米は、毎回日本に帰るたびに持って来る、岡山産、自家製の米である。減農薬でこちらに来る直前に精米するのでおいしくない訳が無い。

マジョレ湖のほとり、ストレーザで高速を下りて昼食にする。ここは渋沢龍彦が<ヨーロッパの乳房>という紀行文を書いていて、その印象が強く残っている。
前に父が生きている時に皆で一緒に来たことがあって、母もそれを覚えていた。
ピザとヴィッテッロのミラノ風、ニースサラダで簡単に食べる。カラフの白ワインを飲んで、33ユーロ。

一昔前は高速道路が寸断されていて不便だったスイスの国境まで、今はちゃんとした道がついている。国境を越えるのもすぐだった。あえてトンネルを通らず、雪の積もった2005mのシンプロン峠を越えて、BRIG、VISP 経由でテーシュに車を置く。ここからは列車で上っていくしかない。ガソリンの車は禁止されているのだ。必要最小限の荷物を持ってゼルマットのホテルに着く。

モナコから500Km、6時間の運転である。


2004/5/17(Mon) ...No.4

2004年 4月 17日 (土)

義理の姉の希望でスイスに来たのであるが、一番の希望であるマッターホルンがなかなか見えない。
ゴルネルグラットに上ったりするが、雪まで降り出す始末で全く見えない。

昼食は、雪の降る山の上のレストランでスキー客に混じって食べる。
ドイツ風とんかつにイタリア風スパゲッティ、良く冷えた地元のソーヴィニョンの白ワイン。 114スイスフラン。

マッターホルンが見えないので、一泊の予定のところ、ゼルマットに2泊することにする。姉の執念が勝つか、日ごろの行いが物を言うか。

夕食はホテルの部屋とセットである。ホテルのレストランで食べると、コース料理なのにフランスやイタリアで食べるのと勝手が違う。
最初は カネロニかエビのカクテルの選択。
次は、ポタージュか魚。
そしてビュッフェのサラダ。
メインは鳥の焼いたのにソースがかかったもの。(もう一皿は何だったか??)
後は チーズとデザートである。
ワインはスイスのシャルドネ 白ワイン。

フランスの食事が、ゴール風の大盛り豪華けんらん、らんちき騒ぎ風だったのが、熱いものは熱く、冷たいものは冷たくコースになって給仕されだれ出したのはロシアの影響と言うが、ここスイスではコース料理の構成が随分違うようだ。

スイス料理ではなかったが、食事もおいしかったし、ワインもシャルドネに地元の土の影響があるのか、他では無いような味のシャルドネだった。
ホテルは4つ星でプールやジムがついていて、ミシュランガイドで赤印だったので選んだのだが、まずは正解だ。
2004/5/17(Mon) ...No.5

2004年 4月 18日 (日)


見えた、見えた。
朝の6時過ぎに薄明るくなってくる頃、目が覚めてベッドでじっとしていたものの、何気なくカーテンを開けると、黄金色のマッターホルンがそこにあった。
さっそく姉に知らせると、喜び勇んで写真を撮りまくっている。
願いがかなって、まずは日ごろの心がけが良かったと言うことか。

ホテルでたっぷりした朝食を摂って、ロープウェーで山に登ると、昨日より激しい吹雪だった。飛ばされそうになりながらも、姉は写真を撮りまくっている。
ロープウェーの中で話したカップルはロンドンから一週間だけスキーをしに来ているのだそうだ。なんとも優雅なことだ。飛行機に一時間も乗っていれば、夏でもスキーのできる場所があるのだから。

朝見えた山の姿を土産に、ゼルマットを下りる。

今度はレマン湖ぞいの街、モントルーに良いホテルがあると勧められたので、そこを予約してあるのだ。モントルーの街から山の上の方に上ったグリオンにある、ホテルヴィクトリアである。
広い庭と、湖とその向こうに雪を被ったフランスの山が見える散歩道がある。モントルーは前に父と母が来たことがあって、その時にはモントルーパラスホテルに泊まった。しきりに父の思い出話をする母だが、この街のことはあまり覚えていなかった。その時に食べた中華がおいしかったのだけは覚えていた。

夕食はホテルでフレンチである。今回は子供がいないのでちゃんとしたところでも問題ない。
突き出しとポタージュスープ、スズキの焼いたのに、メインは豚肉の甘酸っぱいソース。 デザートにコーヒーである。ワインは、一度も飲んだことがないと言うので、フランスのロランぺリエのロゼシャンペンにする。380スイスフラン。

スイス料理でもスイスワインでもなかったが、3泊4日のスイス旅行の締めくくりにふさわしい夕べだった。
2004/5/17(Mon) ...No.6

2004 年 4月 22日 (木)


スイスから帰って、モナコでゆっくりする。
母と義理の姉の今回の旅行は2週間で、旅行のフィナーレはイタリアのヴェニスである。

ヨーロッパに10回は来ているうちの母も、ヴェニスは初めてで期待している。
義理の姉はテレビで、世界の美しい風景とか言う番組を見て、スイスとヴェニスに行きたいと思っていたところなのだった。
僕だったら、テレビで風景を見たのならそれ以外のところに行きたいと思うのだが、テレビで見たのと同じ風景を見たいと言う人もいるのである。確かに、百聞は一見にしかずということわざもあるがーー。

モナコから、今度は子供と女房も乗せて、イタリアへと車を走らせる。
途中、ジェノヴァとミラノの間、セッラヴァレというところにあるアウトレットに寄っていく。広大な敷地に有名ブランドが入っている。
日本へのお土産をいろいろ買う。 母の住んでいる岡山の村ではいまだに洋行帰りと言う言葉が生きていて、ヨーロッパに旅行したらそれなりの土産を持って帰らねばならないのである。

この日の宿泊は、ロメオとジュリエットで有名なヴェローナの予定である。 ホテルは、その名も、<ジュリエットとロメオ> というホテルである。なんで女性上位なのか?
大きなサロンと寝室が2つある大きな部屋で、一泊 220ユーロ。

夕食はホテルの人に進められたレストランで食べる。道路にはみ出したテラスで、日本人らしき東洋人の男が一人で食事している。
我々は、パルマのハムにタラのヴェローナ風 それ以外にスパゲッティだのミネストローネだのいろいろ食べたが、昼間の暑さにやられて、早々にホテルに帰って寝る。






2004/5/17(Mon) ...No.7

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