・・・参創ハウテック・社長の清水のひとりごと・・・
sansoh
参創ハウテックの代表の清水です。
新築とリノベを併せ、20年にわたり500以上の家づくりに関わってきました。その経験で得た結論は「家は住み始めて価値が生まれるもの」ということです。

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2019.08.30 Fri:「割れてしまいました」
 15年住んだ家の洗面ボウルが割れてしまいました。

 ガラス瓶を高いところから落としたためです。

 この洗面ボウルはINAXの売れ筋商品L-2292。

 現在はLIXILに統合されてしまいましたが、まだ製造していました。

 もし製造中止になっていたら、さらに手間がかかってしまいましたね。

 まずは、類似した寸法の陶器ボウル(それも若干大きめサイズのもの)を探し、木製天板の穴あけ寸法を調整して落とし込みしなければなりませんでした。

 すぐに新しいものと交換できたので良かったです。
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2019.08.22 Thu:「軽井沢について思うこと」(連載 その3)
「別荘は経済的成功者の証、省エネへの貢献は知性が高いことの証」

 「軽井沢は東京都24区みたいなところだから」と言う人がいる。
 新幹線はくたか号に乗車すれば、東京駅から軽井沢駅までは1時間ほどで到着する。本当に近くなったものだ。
 長野新幹線の開通により、東京が通勤圏になったことも手伝い、町の人口も増加傾向にあるらしい。「24区とは、実にうまい表現だなぁ。」と、折に触れて感心させられる。

 軽井沢は明治時代に外国人宣教師らによって避暑地として見出されてからは、ユニーク且つ多様な歴史を刻んできた特別な場所である。
 明治期の避暑客は外国人が中心で、日本人は華族などの上流層の一部の人々だけであった。大正末期から昭和初期にかけては多くの文豪が書斎を構えた地でもある。

 一庶民の代表格として軽井沢へ抱く僕の当初の印象はと言えば、軽井沢プリンスホテル、アウトレット、旧軽井沢銀座、浅間山といったところだが、確かに他の別荘地と比べても軽井沢は別格だと言ってよい。

 現在では東京で成功をおさめた方々が別荘ライフを満喫するステータスにとどまらず、数年前にはビル・ゲイツの別荘が建築されているという話を頻繁に聞いた。グーグルアースやドローンで空撮されないように工事中も巨大な仮設の屋根を架けていたため、噂が噂を呼んだようだ。今ではいろいろな国の富裕層がこの地に集まってきている。

 そんな東京24区の南ヶ丘という場所に、隣接する二百坪あまりの二筆の土地を購入したのが3年前の春。
 その土地のひとつに「ARPEGGIO(アルペジオ)」という名のモデルハウスを建築して、軽井沢建築社をスタートしたのが、昨年5月のことで、少し大げさにいうなら、社運をかけた拠点戦略スタートだった。

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2019.08.08 Thu:「軽井沢について思うこと」(連載 その2)
 さらにもうひとつ僕の背中を押すことになったのは2011年3月11日のあの出来事だ。

 被災して数週間が過ぎてもなお東日本全体がこのままどうなってしまうのだろうと誰もが感じたことだと思う。
 当時は「想定外」という言葉が世の中に蔓延していたが、僕自身も工務店経営者、中小企業経営者の端くれ者として、万一の時の想定を意識せざるを得ない心理状況になっていった。

 あの時ほど人間の無力さを思い知らされたことは無かった。余震が相次ぎ、不安な日々を過ごしていたが、何となく漠然とした意識の中で少し離れた場所に「第二の拠点」があればというイメージが芽生え始めていた。

 だから不意に「場所はここではない」と言われても、本当は「大きなお世話」くらいにしか考えていなかった。

 その不動産業者がセカンドベースを訪れてから数年が経過し、正月休みを利用して、僕は軽井沢駅北口の広場にいた。
 調べてわかったことだが、軽井沢を訪れる観光客は年間850万人、別荘建築数はピーク時で400棟、少ない年でも300棟は下らない。
 人口2万人程度の町にこれほどの住宅建築需要があることに改めて驚いた。

 この目で確かめに行こう。
 もちろん僕の背中を押したのは、「場所はここではない」という、あのひと言だった。

(つづく)
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2019.08.05 Mon:「夏休み工作教室」
 3日(土)に、毎夏恒例の「夏休み工作教室」を開催、今年は木工作品「ループゲーム」をみんなで作りました。

 10人の小学生のお子さんが参加され、2時間半で無事に完成。
 みんなとても上手にできました。

 工作教室にはOBの建て主様も来てくださいますので、久しぶりにお会いできる良い機会です。
 皆様快適にお暮らしのご様子で、嬉しくお話を伺いました。

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2019.08.02 Fri:「軽井沢について思うこと」(連載)
 「建物はいいけど、(商売をするなら)場所はここではないよ、清水さん!」

 八ケ岳セカンドベース(集いの山荘)に半ば強引に訪れた、以前から親交がある知人の不動産業者が上から目線で開口一番に放った言葉である。
 別荘建築を本当にやるなら軽井沢が最も旬でお薦めだということを、少しかじった程度の知識にもかかわらず言いたかったのだろう。
 話の中身は個別な経験談に終始していた。今思うと「場所はここではない」という言葉だけが記憶の深いところにまで刻まれていたのだろう。とても不思議である。

 そもそも八ケ岳山麓の原村にセカンドベースを建築したのには別の理由があった。
 まずは北海道並みの寒冷地において仕事で培ってきた温熱環境のスキルを試したかった。東京のような温暖地で断熱や温熱環境を説いてもすぐに壁にぶつかってしまう。
 家を建てる建て主側の立場で考えれば、折角手に入れた土地に暮らしに見合った間取りと規模の建物を創ることが最重要課題であり、こちらが考えていることの優先順位はグッと低くなる。
 それをわかっているからこそ、当時は会社として別荘建築事業などに打って出るつもりも無く、会社とは切り離して僕個人としてのプロジェクトとして決断したのだった。

 また、八ケ岳を選んだのは、僕の出身地が北海道旭川であることにも関係がある。
 空気が澄み切った季節になると、頂が雪に覆われた大雪山連峰を見ることができ、車で30分も走れば、連峰をバックに小高い丘が不規則に連続した景色を堪能できる美瑛や富良野があり、四季折々の楽しみを運んでくれるような、そんな土地柄だった。
 八ケ岳は小ぶりだが、大雪山連峰をバックにした景色に何となく似ていた。

(つづく)

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